2015年02月06日

日本人はなぜ「自己責任論」にはまるのか? 仕掛けられた政治の“罠”

1:2015/02/05(木) 22:26:54.97 ID:

日本人はなぜ「自己責任論」にはまるのか? 仕掛けられた政治の“罠”|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
http://lite-ra.com/2015/02/post-843.html


 殺害という最悪の結果に終わってしまった、湯川遥菜さんと後藤健二さんが人質となったイスラム国による拘束事件。完全に安倍政権の失策
が招いた事態だが、今月2日に世耕弘成官房副長官が後藤さん渡航中止を3回求めていたことを明かしたため、またぞろ「どう考えても自己責
任」「弁解の余地なし」とネット上では自己責任論が噴出。世耕氏は「我々は自己責任論には立たない。国民の命を守るのは政府の責任であり、
その最高責任者は安倍総理だ」とも語ったが、むしろ「安倍責任論」を回避し、湯川さん・後藤さんの自己責任だと世論を誘導したいがためにこ
のタイミングでそんな話をもち出したかのようだ。

 そもそも「命を守る」気などさらさらなかったことは、すでに露呈している事実だ。昨年11月には後藤さんが拘束されていることを把握しながら、
中東訪問時にわざわざイスラム国を刺激するような言い方で2億ドルの支援を公表したことはもちろん、交渉はヨルダンに任せきり。菅義偉官房
長官は「身代金を用意せず、犯人側と交渉するつもりはなかった」とさも当然のように語ったが、身代金を支払うことで人質を解放してきたフラン
スやスペインだけでなく、実際はアメリカやイギリスも別の武装勢力とのあいだでは秘密裏に取引しているともいわれている。「テロには屈しない」
などと言いつつ、結局は交渉に辿り着くための情報も人脈ももてず、手をこまねいていただけではないか。

 しかし、驚くべきは、このように人命がおろそかにされてなお「安倍首相は悪くない。危ない地域に勝手に入った後藤さんの責任だ」と世間から
上がる声の大きさだ。いや、今回に限った話ではない。2004年のイラク人質事件にはじまり、近年の非正規雇用のワーキングプアや生活保護
受給者、シングルマザーなどの社会的弱者に対しても、必ず「自己責任」という言葉がもちあがる。女児誘拐事件が発生したときも、被害者であ
る女児の母親が帰宅時まで外で遊ばせていたというだけで「母親の自己責任」と言いつける始末で、日本は何か起こると必ず自己責任論が発
生する異常事態に陥っている。

 自己責任論は想像力をもたない愚かしい者の放言──そう言っても間違いはないが、指摘しておきたいのは、自己責任論の根底には、民衆
が無意識のうちにすり込まれている巧妙な政治的意図がある、ということだ。
ヘイト集団やネトウヨたちは、何かと「弱者の特権」を許さないが、実際のところ、特権を手にして富にありついているのは、少数の支配層・富裕 層だ。ネトウヨたちは結局、そうした特権階層の片棒担ぎをやらされているだけにすぎない。そう、〈民衆の分断によって支配をまっとうしようとし〉、〈自己責任を強調することで、さらに進んで、さまざまな問題を、徹底して一人ひとりの個人の内部に閉じ込めようと〉するのが、新自由主義の目指す社会だからだ。

そして、もうひとつ重要なのは、新自由主義が解体しようとしているのは「国民国家」そのものだという問題である。
 たとえば、政治学者の片山杜秀氏は、以下のような指摘を行っている。
「税金や徴兵など国民に犠牲を強いるかわりに後々までちゃんと面倒みるよ、というのが国民国家ですが、安倍政権の国家観はすでにそこからズレていっています」
「安倍政権が主権や国防軍、日の丸、君が代といったナショナルなシンボルをやたらと強調するのは『もう国は国民の面倒はみない。
それぞれ勝手に生きてくれ』という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係にあります」(朝日新聞13年4月27日)
 社会保障費の削減など国民に負担をかける政策には、必ず批判が起こる。それを押さえ込むために、安倍首相は「国を守る」「強い日本をつくる」などという“大きな物語”を語ってはナショナリズムを扇動し、批判が起こらないように仕向けている。

要は国民を精神的にコントロールすることで、国の物理的な負担を軽くしているのだ。安倍首相にしてみれば、人質事件でも生活保護問題でも「自己責任だ」という声が民衆から上がることは、じつに低コストで済むありがたい話にちがいない。

 国民国家とは、〈自国の「国民」の安全な生存について責任をもつ、ということでその存在を正当化してきた国家形態〉だ。
しかし、人質事件の結末を見ても明らかなように、“国民の生存に責任をもつ”という態度は現政権にはない。国家の責任を放棄するという行為も、そして自己責任論が蔓延する下地も、安倍政権による新自由主義の理論から導き出されている──そう考えることはできないだろうか。
 繰り返すが、紛争地域でテロに巻きこまれることも、この国が抱える貧困や労働問題も、断じて個人の責任などではなく等しく国が解決するべき問題だ。

それを棚に上げて、自己責任論によって義務から逃れ、個人を孤立させようとするのが現政権の手口である。だからこそ、早く気づいてほしい。

自己責任という言葉を吐くとき、同時にわたしたち自身の首をしめている、ということに。 (水井多賀子)



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posted by SEAMAN at 01:21| 千葉 ☔| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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